このサイトで初めてご紹介する酒蔵は、石川県加賀市にある、橋本酒造さん。
私が酒蔵見学を始めて一番最初に出会った杜氏が、橋本佳幸社長でした。零細酒蔵を存続し、盛り上げたいという気持ちを強く持っておられ、私の話も親身に聞いてくださいました。
昔と変わらぬ製法で、澄み切った味わいが特徴のお酒です。
では早速橋本酒造さんをご紹介していきましょう。
立地/アクセス
所在地 石川県加賀市動橋町イ164
【公共交通機関をご利用の場合】
JR加賀温泉駅下車後
①加賀周遊バス キャン・バス海まわり 29 丸八製茶場前バス停より徒歩20分
②乗換え 加賀温泉駅から金沢方面へ1駅 ⇒ JR動橋駅から約400m ⇒ JR動橋駅から徒歩5分
③加賀温泉駅からタクシーで10分
【お車の場合】
北陸自動車道を利用
①片山津ICから約8km
②加賀ICから約11km
歴史
創業西暦1760年(宝暦10年)。これは江戸時代中期に当たります。
平家の侍(平忠盛のひ孫、宗貞)を先祖とし、動橋の地で『大日盛』をはじめ、多くの銘酒を醸し続けてきました。
侍であった先祖の平宗貞は、石川県と富山県の県境『倶利伽羅峠』における戦い(西暦1183年)で矢に射抜かれて職を失い、現在の金沢市金石に移り住みます。時代は移り、400年ほどの時を経て、信長や秀吉が勢力を誇っていたころに、子孫は加賀市の動橋大橋のふもとに本家を構えました。動橋の地は、安宅より北前船の小舟がやってきており、橋本家は北海道から得たニシン粕をもとに肥料屋を、また養蚕業などを行います。その後橋本本家から分家した橋本家が、今の橋本酒造へとつながります。分家した橋本家は、当時この地域を治めていた大聖寺藩に納めるお米を作っており、集めたお米で日本酒を醸し始めたのです。
長年、但馬杜氏や能登杜氏など、各地から杜氏を雇い、蔵元と杜氏が協力して酒蔵を守ってきました。先代の杜氏は前良平氏。全国新酒鑑評会、金沢国税局新酒鑑評会などで金賞を何度も獲得し、黄綬褒章を受章。その偉業は今『現代の名工』と冠された熟成酒で味わうことができます。
現杜氏
十代目、橋本佳幸氏。銘酒を生み出す技能を持った能登杜氏のお一人です。
橋本氏は、1963年(昭和38年)橋本酒造の先代社長の家に生まれました。東京農業大学農学部醸造学科(現応用生物科学部醸造科学科)にて、味噌や醤油、お酒全般に関して学び、実習では『満寿泉』で有名な桝田酒造(富山県)で実習するなど、専門的知識を修めたのち、お酒の卸会社に入社。大阪や東京で、酒販店やデパートに営業・配達する業務をはじめ、ワインのオリジナルラベル作製なども担当。幅広い業務内容の経験により、酒販業界の見聞を広げます。
就職から五年後、橋本氏は実家である橋本酒造に戻り、父である社長と、杜氏である前良平氏の下で、営業部長としてスタートします。戻ってすぐに橋本酒造に現在の『大日盛酒蔵資料館』がオープン。時には7台400名ほどの観光客が一気に押し寄せるほどの人気を博しました。
酒造りでは、大学で得た知識だけでは難しい、実際に造ることの難しさを実感したと橋本氏は言います。「お酒は、生き物。環境の違いが大きく影響する」と当時の苦労を語ってくださいました。米や気候、酵母菌の状態に合わせてどうすればいいのか。毎年条件が異なる中での酒造りに苦戦を強いられます。前良平杜氏は後継者の育成に熱心だったこともあり、前氏に教わりながら、橋本氏は経験を積み重ねていきます。前氏がお酒の品評会で受賞に挑戦されるときも、受賞への道のりを一緒に歩み、技術を受け継いでこられました。
私が「橋本氏は、『添加のプロ』とお聞きしています。どういった経緯があったのでしょう」とお聞きしたところ、「お客様がおいしいと言ってくれるお酒は、アルコール添加した本醸造の原酒だった」とおっしゃいました。実は、かつて橋本酒造はどちらかといえば甘口のお酒だったといいます。それがやや辛口が特徴のお酒になってきたのは、お客様のご期待に添いたい思いからなのだそうです。ビールの淡麗辛口が好まれた時期があり、時代によって消費者の好みが変わっていきました。このように、酒蔵資料館で試飲されるお客様の声を橋本氏が直接聞いてきたからこそ、酒造りにおいて、アルコール添加の良さを取り入れてきたのです。
「アルコール添加は、お米のマイナスを打ち消して、香りの成分をしっかりと封じ込める良い役割をしている。純米では引き出しきれない良さだと思う」と、橋本氏は語ってくれました。最近は純米酒が好まれる傾向にありますが、あらゆる酒米の可能性を引き出し、日本酒を楽しませてくれる一つの在り方なのだと教わりました。
さて、2000年に橋本氏は橋本酒造十代目に就任。社長になったからには自分のお酒を造りたいと、加賀の食材(ぶりやカニなど味のしっかりしたもの)に合う濃厚なお酒を醸しました。それが『十代目』という名を冠したお酒です。十代目のラベルは、歌舞伎役者であり、人間国宝でもある七代目中村芝翫に書いてもらったもの。その当時の写真が資料館内に飾ってあります。
好調なスタートかと思われるでしょうが、実のところ、橋本氏は就任当時から苦境に立たされていました。就任前の1997年にはロシアのタンカー、ナホトカ号が島根県沖に座礁し、重油が流出する事故が起こりました。重油は石川県沖へも流れ着き、風評被害により加賀温泉郷への観光客は激減。売り上げが落ち込みます。また、ロサンゼルスに輸出を始めたところ、2001年には『同時多発テロ』が起き、輸出は成功とはいかなかったのです。2007~2008年にはリーマンショックと呼ばれる世界金融危機も生じ、日本経済も景気が後退。橋本氏は苦労し続けることとなりました。
現在、1.1能登地震の影響で、店頭に並んでいた日本酒が割れるなどの被害を受けました。醸造量が少ない橋本酒造にとってあまりにも痛手でした。加賀温泉郷もまた風評被害を受け、観光客の足が遠のくことが懸念されます。
橋本氏は今、クラウドファンディングや各地の石川物産展による再起をはかろうと動き出しています。さらに、熟成酒、瓶内二次発酵のスパークリング日本酒、酵母にこだわった酒造りに挑戦してみたいといいます。「日本酒に完成形はない。常に毎年いいいものを」と、これまでの製法を大事にしながら、時代やニーズに合わせた酒造り、酒蔵の在り方を模索されています。
酒造りのこだわり
伝統的な手作りにこだわり、今もなお昔から受け継がれてきた道具が活躍しています。特にこちらの木槽は大正15年からのもの。ここでもろみをゆっくりとしぼります。
また、資料館の軒下においてある窯は近頃まで活躍しており、この窯で、お米を蒸していたといいます。貴重なことに、もはや結び方を知る人がもうほとんどいないともいわれる縄の結び方を、この目で見ることができます。
酒米は、兵庫県の山田錦や、石川県の五百万石を使用。麹菌によって糖化され、酵母によってアルコール発酵したもろみは酒袋に入れられ、袋吊りや、木槽しぼりで時間をかけてしぼります。これが澄み切った雑味の少ないお酒をつくりだします。
ラインナップ
- 十代目(純米大吟醸、本醸造)コクと飲みごたえがあるので、濃厚な味わいのお食事とともに。
- 現代の名工(熟成酒)角がとれてまろやかな味わい。日本酒が苦手という人も飲みやすいといわれることが多いそう。
- 大日盛
- 武将物語飲み比べ 実盛(純米原酒)、義仲(純米酒)、光盛(本醸造)
- 加賀の峰 (純米酒)
- 雪月花の舞 (純米吟醸)
- 鐘馗 辛口
見学
【大日盛酒蔵資料館】が併設されています。入館は無料。
試飲は多い時で10種類ほど用意され、石川県で唯一無料で試飲できるとして人気を得ています。
二階には、古道具や、歴史的な宝飾品、橋本本家へ富豪の娘さんが嫁いだ時の輿など、価値ある展示物があります。
また、運が良ければ蔵猫の「キャラメル」に会うことができます。店内にも猫グッズが置いてあり、購入するとキャラメルちゃんにいつもより贅沢な餌が与えられるそうです(笑)。
酒造りが行われているエリアへの見学はお電話にて予約されるのが良いでしょう。
感想
橋本氏に初めてお会いして、お酒の業界についてグローバルな視点を持って未来を見据えておられたこと、また、1.1能登半島地震の直後だったこともあり、酒造同士が協力して能登のお酒を守っていきたいという思いを持っておられたことがとても印象的でした。オーナー杜氏としてただお酒造りだけを考えるわけにはいかない難しさを持ちながら、これまでの経験を存分に生かした酒造りと経営で、260年余り続いてきた橋本酒造を今も守り続けておられます。
橋本酒造のお酒の入手先は近隣の商業施設と、酒販店さん、この資料館でのみ現在購入が可能です。資料館でしか購入できない、30年物の熟成酒も置いてあります。今後ネットでも一部購入が可能になる予定だそうで、非常に楽しみにしています。皆様、見つけた際はぜひ、橋本酒造さんの希少なお酒を味わってみてください。機械で圧縮するわけではない、自然にしたたるしずくを思うと、そのクリアな味わいに、“贅”を感じることと思います。
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